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いつもの ごはんと、日々の あれこれ

未来は突然やって来る? 一夜にして、世界が変わることだってあるのかもしれない。

 

ひさしぶりに、娘と一緒に “ドラえもん” を観ました。

声優さんの声に違いにむずがゆくなったり、

ジャイアンの剛田商店や

空き地の土管が健在だったことに、ほっとしたり。

 

何より驚いたことは、

ドラえもんが、22世紀型ロボットとして紹介されいたこと。。

 

あれ?。。ドラえもんと言えば、21世紀じゃなかったけ??

 

この四半世紀の間に、1世紀進んじゃった?

 

私が子どもだった頃は、20世紀。

21世紀になったらドラえもんだっているかもしれない。

半信半疑のまま、

漫画だったし、子どもだったしで、なんとなく納得していた。

けれど私も大人になり、21世紀になった今、

まだドラえもんは存在しない。

それで先にのびたのかぁ。。なんて、のん気に思っていました。

 

 

けれど今、私の知らないところで

技術革新はどんどんと進んでいるようで、

人工知能、AIの発展はめざましく、

AIがさらに上のAIを開発することで、

人間の想像を超え、

ある日、爆発的に変化する可能性があるという。。

(その現象は、“シンギュラリティ”とよばれるらしい)

 

アメリカで最高の権威とされる未来学者カーツワイルの本によると、

それは2045年に訪ずれると言う。。 

(そのころ私は70歳。生きている可能性は十分ある。奇しくも、今のカーツワイルと同い年)

 

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

シンギュラリティは近い[エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

 

  

ドラえもんがいたらなぁ。。と大人になった今でも思いますが、

もうそれどころではないらしい。

 

足し算だった進歩が、掛け算で倍々に伸びていく。

その先は無限大。

 

人類が生命を超越する。。?

そのあたりの知識にまったく明るくない私には、

それが明るい未来なのか、そうでないのかもよくわからない。

 

けれど、知らない世界にワクワクする自分がいる。

どんどん変わりゆく世界では、

「今」の区切りが、ますます短くなる。

「今」が、あっという間に過去になる。

 

そう考えると本当に

その時にしか楽しめないことばかりで、

過去よりも未来よりも、

本能で「今」を楽しむことしか、残っていないんじゃないか。

 

こうして書いている間も、技術だけでなく

自分だって、どんどん変わっている。

(1週間前のブログが、ずっと遠くに感じることがある)

 

子どもがどんどん大きくなるのと一緒に、

自分もどんどん変わっている。

 

これからどんどん変わっていく世の中に

臨機応変に合わせていく、というより

やってくる大きな波にどう乗れるか、

大きな風に乗ってどこまで高く上れるか、

そこかなぁと思う。

 

人の営みのいろんなことから、人が解放されたとき

それでも残るもの、または新しく生まれるもの、

それって一体なんだろう。。

 

そんなものをこの目で見て、

体感したらと思うと、ゾクゾクする。

 

 

のび太がいて、しずかちゃんがいて、

スネ夫と、ジャイアンがいて。

 

キャラクターは全然変わず、そこにいる。

最後のオチも変わらない。

 

出来杉くんも、やっぱりできすぎのままだった。

 

そんなみんなのやりとりを見て、

変わらずに、私も笑っている。

 

なんだろう、これは。

 

未来にも、変わらずあるんだろうか。

 

 

・ ・ ・

 

 

昨日から娘を連れて、実家に帰っています。

手土産に、どら焼きを買いました。

金沢市役所うしろにある、小さなどら焼きのお店 Coji 。

 

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手のひらサイズにあんこたっぷり。1個190円。

  

親戚の人たちの分も、たっぷり買って山盛りです^^

 

 

 

 

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