平穏で凪のような日々。
暮らしが平穏だと、気持ちに波風がたつこともあまりなく、
世の中を見るときも、どこか傍観者のような気持ちになります。
そんな日々をくりかえしていると、
静かな水面に石ころをポチャンと落としたくなる小さな衝動があって、
例えば、映画を見たり、本を読んだり、知らない音楽を聴いたりして
ほんのひと時、ここではない別の場所にいるような疑似体験をして
気持ちをやり過ごします。
けれども、気持ちはここではないどこか、
感じたことのない何かを求めているような気がします。
自分の中の既成概念を砕いてくれるような何か。。
そんなことをなんとなく考えていたら、
ポートランドにくわしい吹田良平さんの記事を見つけました。
「SNSやネットに投稿する言葉は、その内容の良し悪しはさておき『形式知』ですよね。一方、人の頭の中には、まだ言葉にはできない、知恵の芽や気づきの花粉がモヤモヤと存在しますーーつまり『暗黙知』です。人と会って話すことは、そんな暗黙知をぶつけ合って、気づきの芽を洗練させる活動に他なりません。そのための格好の舞台が、多様な社会背景、文化、価値観が集積する”都市”なのです」
暗黙知・・経験や勘に基づく知識で、言葉などで表現が難しいもの。主観的知識。
形式知・・言葉などで説明・表現できる知識。客観的知識。
知らない駅に降り立って、街のざわめきに、ぞわりとワクワクとする気持ち。
目に入るものに、傍観と主観が交差する感覚。空気感。。
言葉で表すのはむずかしい、暗黙知的好奇心のようなもの。。
あのなんだかわからないけれど、感覚としてのこるもの。
その感覚が、どこかへ行きたいという気持ちを
湧き上がらせているのかもしれません。
図書館で、いろいろ借りてきました。
もうしばらく続く冬の日々。
形式知欲をしっかりみたして、
春が来きたら、書を捨て、街へ出よう〜!
なんて、一人コタツの中で思いました^^
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大寒卵は、みかんのマフィンにして、3時のオヤツに。
たまごが、優しくきいています。