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いつもの ごはんと、日々の あれこれ

削いでいったものと、残ったもの。

 

去年の今ごろは、

もしかしたら人生でいちばん楽しかったんじゃないかと思う。

 

夫が仕事をやめ、娘も保育園をやめ、

私もなんとなく探していた仕事を求めることをやめ、

3人が3人とも、自由で宙ぶらりんだった。

 

収入源は絶たれ、所属もない。

今までそんな経験をしたことがなかったぶん、

気持ちの奥底でワクワクする気持ちがあった。

 

信じるのは、会社でも社会でもなく、

家族だけだった。

 

いざとなったら、この家も手放そう。

 

そんなことを考えながら、ゾクゾクする気持ちもあった。

 

春、という季節もよかったと思う。

 

 

読書会で、「愛」とは何か、

というディープな話になったとき

「それは信頼だ」と、一人の参加者がおっしゃった。

 

愛と言うと、

あまりに漠然としていて、

あまりに感情的で、主観的で。

また、ある意味では、聖域でもある。

 

そんなイメージがあるので

そこは、よそ者がとやかく言うことではないと思う。

 

けれどそれを信頼として捉えると

すっとなじみやすくなる。

 

「結婚」や「子どもを育てること」も

その信頼を形にしたもの、とも言える。

 

けれど、結婚して、子どもを産んだ後、

いろんなものが、こんがらがっていった。

震災のことも大きかったと思う。

 

気持ちと行動がどんどんずれていって、

信じられるものなんて、何もなかった。

 

何よりも、自分のことが信じられない。

そこがいちばん、くるしかった。

 

とりあえず、

こんがらがったものを、一つずつほどくため

いらないものを 、どんどん削っていくことにした。

削っていくうち、どんどん拍車がかかってくる。

 

それでも削りきれずに、

最後に残るもの。

 

それはなんだろう。。

 

私には、自分と夫と娘しかないと思った。

 

そう思うと、気持ちが軽くなった。

夫と娘が元気なら、もうそれでいい。

 

その気持ちをなんと言う言葉で表すのかわからないけれど

それはじわじわとやってきて、ただただ満たされた。

 

そして、夫に伝えた。

 

 

その後、夫は就職して、娘は幼稚園に入った。

私はのんびり家事だけしている。

 

表面的には、何も変わっていない。 

 

お金もモノも人との関係も、

たくさんのものをなるべく持たずに、

できるだけシンプルにいたいと思うのは、

あのとき感じた気持ちをわすれない

ためでもあると思う。

 

誰のためでも、なんのためでもなく

言ってみれば、全部自分のためなのだった。

 

結局、自分のためにしか、

生きられないし続けられない。

 

変だけれど、

それは家族と暮らしてわかったこと。

 

 

・ ・ ・

 

そんなころ、読んだ本を

もう一度、取り出して読んでみる。

 

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森に住むことにした、

谷本大輔・愛・空南という3人の家族の一年を追った本。

 

自由で、たくましい暮らし。

 

 

 

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