朝起きると
視野の一部が欠けていて、
時計を見ても 自分の顔を見ても
なかなか 全体が見えない
20代の頃から
そういうことが 度々あって
(年に1〜2回くらい)
一度 眼医者で 診てもらった
こともあったけれど、
原因は よく分からないらしい
この間、白内障の
診断をされたので、
それも 一つの原因に
なってるのかもしれない
朝起きて 目が見えるのって
ありがたいことなんだと、
目が見えなくなった途端 感じる
あまり 暗い気持ちにならないように
いつものことを 淡々としていると
だんだん 目が見えるようになってきたので、
いつものように
ぷぅこと 朝の散歩へ
気分転換に
最近 通らなかった道を
歩いていたら、
可愛いプランターが並んでいた
よく出来ているけれど、
もしかしたら
手作りかもしれない
さらに その先の
お寺まで歩いて、
今月のお言葉を読む
結局、人はひとりなんだと
けれど ご先祖さまは
見守ってくださってますよ、
和尚さんの解説が書かれていた
続きを読むと・・
隣の県のある市で ある年、
高齢者の自死が16人いたらしい
それほど 大きくない市なので、
少し 多いような気がしたけれど・・
驚いたのは、その16人のうち
一人も 一人暮らしの人はおらず、
みんな 家族と同居していたんだという
もしかしたら、
一人でいる 孤独よりも
誰かといる 孤独の方が
つらいものなのかもしれない。。
私の実家も 母方の祖母と
一緒に 暮らしていたけれど、
いつも 周りに
迷惑をかけずに死にたいと、
そんなことばかり 言っていた
死ぬこと以上に、
家族に迷惑をかけるのが
怖いんだと
祖母は 歳とともに
身の回りの いろんなことが
おぼつかなくなっていったけれど、
何か 失敗するたび
余計なことはしないようにと
娘(母)に 強く言われて、
寂しそうにしていたのを 思い出す
もしかしたら、
そうやって できることも
ちょっとずつ 取り上げられて
いたのかもしれない
私はまだ おばあさんに
なっていないけれど、
切迫流産で 二週間ほど
入院したときのことを
思い出した
毎日3度の食事が
決まった時間に出てきて
片付けまでやってもらえたけれど、
お医者さんと 看護婦さんの
言うことが 絶対で、
自主的にできることいったら
テレビや 本を読むことくらい
お腹の子を 助けてもらったので
わがままは言えないけれど、
どこも 痛いところはないのに
何もできない 一日が
ひたすら 長く感じた
その後、しばらく
安静にという約束で
退院できたときは、
うれしくてしょうがなかった
病院にいたときと同じように
ほとんど 横になっている
だけだったけれど、
誰にも気兼ねすることのない
自分の家にいられるだけで
開放されたように ホッとした
できないことが増えると
誰かの手を借りないと
ならないことが 増えるけれど、
全部 取り上げられてしまったら
生きる気力も どんどん
萎んでしまうような 気がする
人は 一人では
生きていけないし、
独りよがりになりすぎても
生きにくいけれど・・
自分でできることまで
誰かに頼らないとならなくなったら、
やっぱり つらいなぁと思う
・ ・ ・
散歩道に咲く 朝顔