14日に、自宅から
緊急搬送された 義父が
17日に 亡くなりました
5、6年間
自宅で 療養している間
少しずつ 体が弱わっていき、
最後は 肺炎を患って
老衰のように
静かに息を引き取りました
義父は 昔から病院嫌いで
延命治療も 望んでいなかったので、
あまり 苦しまずに
すんだのかもしれません
人は 死んだら
それでお終いという人もいれば、
この世とあの世があって
自分という存在は
消えてなくなることがないと
信じている人もいる
私は 小さなころから
死んだらどうなるのかなぁと
一人で ぼんやり考えることが多く、
この歳になっても まだ
答えを見つけたわけでは
ないけれど・・
そもそも、
明確な答えがあるのかも
わかりませんが。。
ここ数年の
いろんな出来事で、
前よりも ずっと死を
身近に感じるようになりました
ちょっと前まで
元気にしていた人が
急に 倒れたり
突然 亡くなったり。。
身近になればなるほど
当たり前に続いている 毎日が
本当は そうじゃないってことに
はっと 気付かされることが
多いけれど・・
それと 同時に、
だんだんと 死に対する
ネガティブな印象は減って、
一つの 通過点というか
区切りというか、
生まれ落ちたときの感覚と
そんなに変わらないような感じにも
なってきているような 気がします
そのせいか
何かに 絶望して
死んでしまいたいと
思うこともないし、
絶対に 死にたくないという
執着心みたいなものも
そんなにはない
それって たぶん、
自分の中で
死 = 終わりではないと
自然に感じることが
増えたからなんだろうなぁと思う
ただ 誰にでも
訪れるものだからこそ、
最後は 自分で 自分に
これでよかったなと
自然と 思えたらいいなと思う
・ ・
昨日の夜、
読んでいた本の中に
『 川端康成が死んだ日 』
という 短編があった
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その中で、 川端康成は
「 自然が 美しいのは、
末期(まつご)の眼に映るからだと
芥川は言ったよ 」
と 語っていた
たしかに
これで お別れだと思ったら、
眼に映る すべてのものが
そんな風に感じられるものなのかも
しれないなぁ。。
・ ・ ・
今日 無事
納骨も終わり、
義父も ホッとしてる
ところかもしれません