久しぶりに
朝から お天気で、
こんな日は いろんなことを
やりたくなってくるけれど・・
今日は いちばん
やってしまいたいことをしようと、
母に 頼まれていた
年賀状の絵を仕上げました
最近 絵をほとんど
描かなくなったのもあってか、
前のように 手は動かないし
目も しょぼしょぼして
よく 見えない。。
年老いていくって、
こういうことなんだなぁと思う
私の 両親も
年々 年老いて、
80を過ぎた 父は
物忘れが ずいぶん
ひどくなった
言動が おかしいので、
周りの人たちからも
ずいぶん 心配されているらしい
一緒に 暮らしている
母は 大変そうだけれど、
物忘れのおかげか
父は 前よりずいぶん
朗らかになったと言う
怒ることがなくなって、
何か 嫌なことがあっても、
いつの間にか すっかり
忘れているらしい。。
物忘れしやすい人は
うつ病になりにくい
っていうけれど、
本当に そうなのかも
しれないなと思う
というか・・
たぶん、父にとっては
怒ったり ピリピリ
しているよりも、
のんびり 過ごす方が
性に 合ってるんだと思う
昔から 誰かが怒ったり
争ってるのを見ても、
ちょっと 離れたところから
ぼんやり 眺めているような人だった
ときどき 突然
癇癪を起こすことも
あったけれど、
今は そういうところがなくなって
穏やかなところだけ
残ったのかもしれない
毎日 世話をする母は
やっぱり 大変そうだけれど、
何の 悩みもなくなった
父は けっこう
幸せ者なのかもなぁ。。
・ ・
昨日 読んだ
養老孟司さんの記事
子どもは 大人の
予備軍ではないという お話
いまは 子どもを
大切にしていると言いながら、
実は 大切にしていない気がします
昔の体罰や ゲンコツなど、
そこだけ 取り上げると
厳しかったように
思うだろうけれど・・
一方で、子どもが
簡単に 病気などで
亡くなっていた
つまり、子どもは
とても 弱い存在で、
いつ 急にいなくなるか
わからないというのが、
かつて 社会の常識だった
そんな はかない
存在であるからこそ、
親も 社会も 子どもを
大切にしなければと考えていた
この子は
もしかしたら、
何かの拍子に
来年 死ぬかもしれない
そんな気持ちがあれば
子どもを大切にするのは
自然なことでしょう
いまのうちに
好きに 遊ばせてあげよう
と思うようになるのが 自然です
将来のために がまんしろ、
先には いいことが
あるぞというのは、
子ども時代 そのものに
価値を 置いていないということです
子どもには 子どもの人生があり、
その毎日が とても
大切なものだと考える
これが 子どもを大切にする
基本なのではないでしょうか
いまは 子どもの時期について、
大人になるための
貯金をする時期のように
考えている人が
多いのではないでしょうか
いま 頑張っておけば
がまんしておけば、
将来 いいことがあるぞ、
というリクツで
子どもに 無理をさせる
親の立場からすれば、
どうしても「 何かさせなきゃ」
と 思うのでしょう
でも、多くの場合、
無理に何かをさせても
結果は 大して変わりません
両親が 年老いていくと、
一年一年 大事にしないとなぁと
思うけれど、
子どもだって 同じだと
ハッとさせられました
・ ・ ・
午後から、また
やりたいことやろう〜