昨日は、
夫と 実家へ
一週間ほど前から
母は 食養生し始めて、
できることから ちょっとずつ
食生活を 改善しているらしい
東洋医学の先生から、
ごはんは 出来るだけ
土鍋で 直火で炊くように言われて、
さっそく 毎朝、一合炊きの
かまどさんで 炊いているんだと

これが 小さくて、
なんとも 可愛いらしい。。
ちょっと ままごと
みたいな 雰囲気もある
今まで 冷やごはんを
温めるのに使っていた 電子レンジは
しばらく 使うのを止めるそうで、
離れのキッチンへ 移動することに

母は いろんなことに
チャレンジしては 挫折を
繰り返しているけれど、
母にとっては 何かに
チャレンジし続けることが
大事なのかもしれない
私も そういうのを
なんとなく 受け継いでて、
挫折するのは 失敗ではないと
思ってたりもする
その代わりと言っては
なんだけれど、
継続が やや苦手。。
なので マンネリ化してきたら、
ちょっとずつ 変化を
つけてみるっていうのも
大事なのかもなぁ。。
あとは、必ず
気持ちに 波があるから、
その波に ある程度合わせるのも
大事な気がする
母を見ながら、
そんなことを思った
・ ・
母が 準備してくれた
夕ごはん

秋刀魚の塩焼き
焼きなす、イカ納豆
高野豆腐とエビの煮ふくめ
豚汁
料理が キライキライと
言いながら、
あれもこれも 作ってくれました^^
ちょうど テレビの
“ 人生の楽園 ” という番組で、
小松で 週に一度だけやっている
漁師さんのお魚屋さんが出ていた

TVに出たから、しばらく
いっぱいかもしれないけれど、
今度 のぞいてみようかな〜
・ ・
実家にいると、
自分の家のようで
やっぱり 自分の家ではなく・・
一度、家を出て
別のところに 家を持てば、
実家は もう 親の家っていう
感じになる
親の家だから
どこよりも 気が楽で、
たまに帰れば 母が あれこれ
世話を 焼いてくれたりするけれど、
一緒に 住んでいたころとは
やっぱり 違う
よく、認知症になった
お年寄りが 徘徊したりするのは、
家に帰りたがっているんだと
誰かが 言っていた
その家っていうのは、
今 住んでいる家じゃなくて
記憶の中の家
たいてい、若くて
毎日 充実していたころの
自分が 住んでいた家で、
そのころの 家族も一緒にいたりする
けれど、それは
記憶の中に 存在するだけで、
どこを探しても もうどこにもない
そんな風に 頭の中で
現実と記憶の境目を 彷徨いながら、
いつまでも 一人で 街を
徘徊してしまうらしい
そんな話を聞いて、
なんとなく
わかるような気がした
そして、自分が 人生で
いちばん 帰りたいと思う家って、
どこなんだろうと ぼんやり考えた
子どものころ
両親や 祖父母と暮らした家なのか、
初めて一人暮らしをした家か
好きな人と暮らした家か
それとも 今 家族と
住んでいる 家なのか
いちばん 幸せだったころ
っていうよりも、
いちばん 自分らしくいられたころの
家なんじゃないかなぁと思う
いろんなことを 忘れてしまっても、
最後まで 残るのは
そういうもののような気がする