days

いつもの ごはんと、日々の あれこれ

誰もいない 空き家の主と、散歩中に見た 憧れの人

 

新しい月が始まって

カレンダーをめくると、

また ここまで来れたんだな

という 気持ちになる

 

 

何か 大きな病気を

しているわけではないし、

余命を 告げられてる

わけでもないけれど・・

 

明日 どうなるかわからない

 

今って、そんな時代

なんだろうなと思う

 

けれど、長い人の歴史を

振り返ってみると、

それって 案外 普通のことで

何も 特別なことではなく・・

 

むしろ そっちが、

当たり前だったんだろうと思う

 

今まで そのことを

忘れさせるもので 溢れていたから

忘れたふりをしていられたけれど、

だんだん そうもいかなくなって

きてるんだろうなぁ。。

 

けれど、それも

悲観することじゃなくて、

むしろ 毎日を濃くしてくれる

もののような 気がする

 

 

・ ・ 

 

 

昨日 今日と

急に 肌寒くなって

春先に 舞い戻った感じですが、

道を歩けば いろんな

花が 咲いている

 

 

手をかけられて

大事に育てられたものもあれば、

たくましく 咲いているものもあって、

近所の 子どもみたいだなと思う

 

 

路地裏を歩くと、

もう 誰も住まなくなった

家が ちらほらあって、

庭一面に 植物が

好き勝手に育ってる

 

こっちには

大輪の牡丹の花が 咲いて、

誰もいなくなった家の

家主のような顔をしていた

 

 

 

・ ・

 

 

昔、東京の

西荻窪に住んでいたとき、

今みたいに よく一人で

ふらふら 近所を散歩した

 

古い家、新しい家、

大きな家、小さな家が

ひしめき合っていて、

ぼんやり 見て歩くだけで

たのしかった

 

大通りに面した

大きな建物の合間に、

小さな庭付きの一軒家があって

そこだけ 時間が

止まったような 場所があった

 

古い お家だったけれど、

家も 庭も ちゃんと

手入れされていて、

バージニア リー バートンの

“ ちいさいおうち ” みたいだった

 

どんな人が

住んでいるのかなぁと思って

ときどき 前を歩いていたら、

ある日 おばあさんが

庭で 花の水やりをされていた

 

その様子が あまりに

そのお家とぴったりで、

つい 見惚れてしまった

 

目の前の 大きな道路には

車が ビュンビュン

行き交っていたけれど、

おばあさんの家の周りだけ

別の世界のように見えた

 

そして、

私も 歳をとったら

あんなふうに暮らしたいなと

ぼんやり 思った

 

もう20年近くも

前のことだから、

家も 庭も おばあさんも

今 どうなっているか

わからないけれど・・

 

あのとき見た 光景は

ずっと どこかに残っていて、

今の家を 建てるときも

その家と どこか 似た感じに

したように思う

 

家が 自分に似てくるのか

自分が 家に似てくるのか、

わからないけれど・・

 

お互いが お互いを

守ったり 守られたり

してるんだろうなと思う

 

 

・ ・ ・

 

 

散歩道で 出会った

今日のお言葉

 

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