朝 起きて、
のんびり 歯を磨いていたら
インターホンが 鳴った
ハーイと 出てみると
ご近所の Bさんで、
今年は 庭の柿の木が豊作だからと
お裾分けしてくださった
こちらも うちにあった
サツマイモと南瓜をお裾分け
そんなことをしながら、
玄関で 数十分ほど 立ち話
お互いに 顔を洗っただけで
お化粧もしてなかったけれど、
こういうのも ご近所ならでは
かも知れません。。^^
Bさんは うちの母より
少し 年上だけれど、
いつも お元気で
毎日 近くに住む 娘さん家族や
ご自宅の庭のお世話に 精を出されている
多趣味で、いろんな
習い事もされてるようで、
私にも いろんなことを教えてくださる
元々 いいとこの
お嬢さんだったようで、
言葉の端々にも 育ちの良さを感じる
一見すると、なんのご苦労もなく
楽しく 優雅に 暮らされてるように
見えるけれど・・
それが、そうでもなかったのよーと、
ときどき 苦労話を聞かせて下さる
まだ 40代だったころ
突然 ご主人を亡くされ、
当時 中学生の息子さんと
小学生の娘さんを 女で一つで
育てることになったらしい
それまで 外で
働いたことは 一度もなかったけれど、
とにかく お金を稼がないといけないと
できることは 何でもしたのよ
自分の身なりなんかに
かまってられないくらい、
もう 髪の毛なんか
ぐしゃぐしゃになるのも構わず、
朝から晩まで がむしゃらに働いたの、と
今では そんな姿を
全然 想像できないけれど、
ご家族のお世話や 庭仕事に
精を出されてる 様子を見ると、
そのころに 鍛えられたところも
あるのかも知れない
その後、何とか
お子さん二人を育て上げられ、
医学部まで 出された
なかなか お金がないと
できないことだけれど、
それ以上に そのバイタリティに感服する
その お話を聞きながら、
私も 同じ状況になったら
同じようにできるだろうかと
ぼんやり 考えたりもするけれど・・
いざ、その状況になったら
ぼやぼや 考えている暇もなく、
できることは 何でも やるしかない!って
気持ちになるのかも知れないなぁ。。
Bさん曰く、うちの主人は
責任感と 正義感が強くて
何でも 後回しにできない人で、
自分にも 他人にも
本当に 厳しい人だったの、と
それで、Bさんも ご主人には
よく 叱られたらしいけれど・・
たぶん 外でも うちでも
そんな風だったから、
体の方が 気持ちに追いつかなくなって
病気で ぽっくり
逝っちゃったんじゃないかと
だから、子どもたちには
そういうのが あんまり
強くなりすぎないようにって、
小さなころから そればっかり
言って 聞かせていたらしい
責任感と 正義感。。
自分には どちらも
そんなにない気がするけれど、
もしかしたら 男の人は
そうなりやすいんだろうか。。
去年 亡くなった 夫の父も
確かに そんな気質の人で、
曲がったことが 大嫌いな人だった
夫も 少なからず それを
受け継いでいるところがある
暢気な私は その中和剤に
なってるような 気がするけれど、
ただ 都合よく 考えてるだけかも。。^^
ちなみに、義父と 同じ歳の
うちの父は、それとは 反対の性格で
遊ぶこと以外は ずっと 暢気な人だった
外で 誰とも争うことなく
特に 何の主義や 主張もない、
絵に描いたような 事なかれ主義
だから マスオさんのように
母の実家で 同居してくれたんだとも思う
今では 80歳を超えて
ちょっとずつ 認知症が進み、
若いころより さらに輪をかけて
極楽とんぼになってしまった
そんな父も、一度だけ思い詰めて
一家で 深刻な状況に 陥ったことがあった
あれは ちょうど
リーマンショックのころ・・
当時 中小企業の経営をしていた父は
それまで ずっと 好調だった
会社の業績が 急に傾きかけて、
それを 誰にも相談できず
日に日に おかしくなっていった
家に帰っても
終始 暗い顔をして、
家族と会話も ほとんどしない
食事も ろくにせず、
恰幅が良すぎるくらいだった 体も
日に日に 痩せ細っていった
最後は とうとう
うつ病のような 症状が出てきて、
あの世まで もうほんの寸前の
崖っぷちのところまで、
一人 追い詰められてしまった
それから しばらく入院して
なんとかかんとか 持ち直し、
会社は 私の弟が 引き継ぐことになった
今まで 思い詰めていた
心配事がなくなった 途端、
あれは 一体 何だったのかというくらい
父は 元気になり、あっという間に
元の 暢気な父に戻っていた
父の あまりの変貌ぶりに
周りのみんなは
呆気にとられたけれど、
そのころの記憶を すっかり
忘却の彼方へ やってしまうとこで、
本能的に 自分を守っていたのかも知れない
その後 会社も
なんとかかんとか 持ち直し、
家族みんなで 安堵した
今 振り返ってみても
あの出来事は 根っからの
のんびりマイペースな 父にとって、
人生最大の危機だったんじゃないかと思う
たぶん、自分や 家族だけでなく
従業員や その家族のことも考えて、
その責任感と重圧に 押しつぶされて
どうにも ならなくなったんだろうと思う
今でも その出来事を
すっかり 忘れている様子なので、
父の前で その話を持ち出すのは
暗黙の了解として
家族の誰も 口にしない
あれから 一年もしないうちに
私も弟も バタバタと結婚したので、
父の中では 子どもたちの結婚で
しっかり 上書きされてるのかも知れません。。^^
たぶん、よそから見れば
父は 何の苦労もなさそうな
トボけた おじいさんにしか
見えないだろうけれど・・
後にも 先にも、
あれだけ 家族で
一致団結したこともなかった
父が 忘れてしまっても、
家族の誰も 忘れることはないだろうな
テーブルの上で、
いただいた柿が ピカピカ 光ってます^^

長く 生きていれば、
きっとみんな 何かしらそんなことが
あるものなのかも知れないなぁ。。