気持ちよく晴れた 朝

ストレッチと 散歩の後、
ようやく 朝ごはん

今日は 何の予定もなくて、
のびのびとした気持ち
新しいお盆も買って、
これまた うれしい
思い切って
買って よかった
昨日のお昼ごはんと

夕ごはん

いつもの食卓の風景が、
ちょっとだけ 変わりました^^
・ ・ ・
昨日は 娘の友だちが
うちに 遊びに来るからと、
また 半日 家を空けることに
いつも 家に
こもってばかりいるので、
こうやって 半強制的に
外に出るのも いいのかも。。
娘が 通っていた
近所の保育園で
バザーがあったので、
ちらっと 覗いてみることに
久しぶりに 中へ入ると、
どこもかしこも 小さく
とても 懐かしかった
そして、来ている
お父さん お母さん方が
とにかく 若い
考えてみれば、
私が 娘を連れて 通ってたのは
今から10年近く 前のこと
そのころだって
若いお母さんが いたけれど、
さらに 自分の歳が 十増えて
さらに 若く感じるようになっていた
ずっといる 先生方は
私と同じだけ ちゃんと進んでいた
保育園とか 学校って
通う方にとっては
一つの 通過点だけれど、
そこに ずっといる人たちにとっては
定点観測してるみたいな
感じなのかもなぁ。。
・ ・
その後、図書館へ
新刊コーナーにあった
福岡伸一さんの
『 生命と時間のあいだ 』
という本を開いて 読んでみると、
最初のページに こんなことが 書いてあった
私たちは 今、あらゆることに
不審と不満を かかえている。
それは一体 なぜだろうか。
それは、コロナ禍が あぶりだしたとおり、
政治も、経済も、端的に言って、
その根本のところで、
生命に対する 基本的な向き合い方が
定まっていないからである。
膨大な時間をかけて、変化し、
選択され、多様性を花開かせた
生命の価値と意味に対する
“ 哲学 ” が 見えないからである。
“ 時間 ” に対しての概念が
今ひとつ 理解できないので、
なかなか 最後まで
読みきれなさそうな 内容だったけれど、
この前書きの言葉は
すんなりと 入ってきた
きっと なんとなく
言葉にならないまま
ぼんやり 感じていたことと、
重なるところがあったんだろうと思う
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うれしいとか 悲しいとか
日々 いろんな感情が 湧いてくるけれど、
その気持ちが どこからやってきてるのか
ときどき 一人になって考える
そうやって
自分の 奥へ奥へ 掘り下げていくと、
何かが 見えてくるような気がする
それが 自分にとっての
哲学なのかもしれない
そういうのが、
いつの間にか うやむやになって
すべてが 成り行きまかせになっていくと、
だんだん 自分の足元が
おぼつかなくなってくる
たぶん、自分の中に
やわらかくて 自由な部分と
どんなことがあっても
曲げない部分や 変わらないところの
両方あることを 知っていないと、
いつの間にか 不満や不安を
かかえるようになってしまうのかも
しれないなぁ。。
作っては 壊し、
失敗しては
作り直していくことも
もちろん 多いけれど。。^^
何をやってても、
どこまで 自分で自分を
納得させられるかってことが
すごく 大きなことなんだろうと思う
・ ・ ・